大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和41年(行ケ)95号 判決 1967年1月31日

原告 植松虎一郎

被告 高等海難審判庁長官

代理人 上野国夫 外四名

主文

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実<省略>

理由

高等海難審判庁が同庁昭和三九年第二審第四一号機船第一宗像丸、機船タラルド・ブロピーク号衝突事件について、昭和四一年五月三一日、「本件衝突は第一宗像丸船長および原告の運航に関する各職務上の過失によつて発生したものである。」旨を主文とする本件裁決を言渡したことは、当事者間に争がない。

そこで、被告主張の本案前の抗弁について判断する。

海難審判法は、その第五三条、第五四条、第五六条において、高等海難審判庁がなした裁決に対する訴につき、その管轄裁判所、出訴期間、被告適格、判決などについて規定しているが、高等海難審判庁のいかなる裁決に対して出訴することができるかについては、なんら明定するところがない。したがつて、いかなる裁決に対して出訴ができるかの問題は、行政事件訴訟法の定める一般原則に従つて、決すべきものといわなければならない。行政事件訴訟法第三条第二項、第九条、第一〇条第一項の各規定の趣旨によれば、行政庁の処分であれば、それが如何なるものであれ、すべてが抗告訴訟の対象となり得るものではなく、行政庁の処分であつても、それが国民の権利義務に直接に関係せず、国民の法律上の利益を侵すような効力をもたない行為、換言すれば、国民の権利関係を形成、確定するの効力を有しない行為は、行政事件訴訟法にいう抗告訴訟の対象たる行政処分には該らないと解すべきである。本件裁決は、その主文において、本件衝突は第一宗像丸船長および原告の運航に関する各職務上の過失によつて発生したということだけを宜明しているものであることは、上記認定のとおりであり、また、その理由中において、「原告に対する懲戒の点については、免許の失効により懲戒しない。」旨を明らかにしていることは、本件口頭弁論の全趣旨に徴し、当事者間に争がないところであるから、本件裁決は海難審判法第四条第一項にいう海難の原因を明らかにする裁決であつて、原告に対する懲戒の裁決を含まないものであることが明らかである。このような、海難原因を解明しただけの本件裁決は、たとえ原告の過失について言及しているにせよ、原告に対しなんらかの義務を課したり、原告の権利行使を妨げるものでないばかりか、原告の過失を終局的に確定する効力を有するものでないと解せられる。したがつて、本件裁決は、原告の権利関係を形成、確定する効力を有しない裁決であつて、行政事件訴訟法にいう行政庁の処分と解しがたく、原告から出訴することは許されないものといわなければならない。

もつとも、本件海難事件においては、原告は、第一審以来、受審人として審理されて来たところ、第二審に至り、自ら水先業務を廃止し水先免状を返納したため、昭和四〇年七月一二日水先人たる資格を喪失するに至つたのに拘わらず、高等海難審判庁は、依然、原告を受審人としたまま審理を遂げ、本件裁決をなしたことは、当事者間に争のないところである。海難審判法によれば、理事官のなす受審人の指定は、当該海難に関係のある海技従事者または水先人に対する懲戒の裁決を請求する申立であり、懲戒の裁決は、免許の取消、業務停止および戒告の三種と定められているから、海技従事者または水先人の資格(免許)を有する者でなければ、受審人たる適格を有しないのであつて、受審人の指定がなされた当時に海技従事者または水先人の資格を有していた者でも、その後、裁決前に、これらの資格を失うときは、もはや受審人たる適格を喪失するに至るものと解しなければならない。ところで、水先法には、水先人が自ら水先業務を廃止し、水先免状を返納することについて、なんらの制限、留保を定めた規定は存しないから、水先人は、たとえ海難事件について受審人の指定を受けた後においても、自ら水先業務を廃止して水先免状の返納を自由になし得るものといわなければならない。したがつて、原告が、上記認定のとおり、第二審の高等海難審判庁に係属中、水先業務を廃止しその免状を返納することにより、水先人たる資格(免許)を喪失した以上、原告は、爾後、受審人たる適格を有せざるに至つたというべきである。このように、受審人として審判せられて来た者が、第二審の審判手続中に受審人たる適格を失つた場合に、理事官において受審人の指定の取消をなし得るかどうかについては、海難審判法施行規則第六七条が、同規則第三二条の規定を高等海難審判庁の審判手続に準用することを除外する旨規定しているところから、疑問の余地がないが、仮りに、右のような場合には、規則第三二条の規定の類推適用があるとして、理事官において原告に対する受審人の指定の取消をなし得るものと解するにしても、海難審判法、同法施行規則によれば、受審人の指定を取り消すかどうかの決定権は理事官に委ねられており、理事官において必ずしも常にその取消の申立をしなければならないものではないと解すべきであるから、理事官が取消の申立をしないときは、本件では、理事官は第二審に至つては受審人の指定の取消をなし得ないと解した場合と結果を異にするものでない。ところで、本件の如く、審判手続中において、受審人の指定を受けた者が海技従事者または水先人たる資格を失つたことが明らかとなつた場合に、高等海難審判庁がどのように処置すべきかについては、海難審判法はもちろん、同法施行規則にも直接の明文は見当らない。しかしながら、上記のとおり、受審人の指定は海技従事者または水先人に対する懲戒の裁決を請求する申立であり、かつ、受審人たる適格は受審人が海技従事者または水先人たる資格を有することを前提とするものと解するにおいては、受審人に指定された者が、審判手続の途中において、これらの資格を喪失したときは、これと同時に、理事官のなした受審人の指定は不適法なものに帰したとなさなければならないから、理事官において受審人の指定の取消をなさないときは、高等海難審判庁は、海難審判法第五二条、第四一条第二号を類推適用し、審判開始の申立のうち、受審人に対する懲戒の請求に関する部分につき、直ちに棄却の裁決をなし得るものと解するを相当とする。しかしながら、高等海難審判庁が、本件の審判手続中に原告が受審人たる適格を喪失したのに拘わらず、理事官から受審人の指定の取消がなされなかつたことを理由に、前記の措置を採ることなく、依然原告を受審人としたまま審理を遂げたその審理手続が適当なものであつたかどうかの点は、しばらくおき、高等海難審判庁の右審理手続は、形式的にみれば、原告に対する懲戒処分と海難の原因解明の審理が併行してなされているが、実質的には後者の審理のみがなされたと解するを相当とする。したがつて、この審理においては、原告は、本来、指定海難関係人として取り扱わるべきなのに、終始受審人として審判手続が行われたことになる。しかしながら、このことにより、指定海難関係人として取り扱われることによるよりも、なんらかの不利益を蒙つたものとは認められないから、このことを理由として、原告は本件裁決の取消を求める利益はこれを有しないと解するを相当とする。もつとも、本件の第一審裁決は、その主文において、「原告の東京湾水先区水先人の業務を一箇月停止する。」旨を宣明しているものであることは、本件口頭弁論の全趣旨に徴し、当事者間に争のないところであるが、右第一審の懲戒の処分については、本件裁決はその主文においてはなにも触れることなく、その理由中において、上記認定のとおり、原告を懲戒しない旨を明らかにしたに止まるが、この点については、原告はなにも主張していないし、海難審判法および同法施行規則には、裁決書の必要的記載事項として、必ず主文を掲記すべきことを命じた規定は存しないから、本件裁決がその主文において原告に対する懲戒の申立を棄却する旨を掲記しなかつたからといつて、これを違法であるとまで解することは相当でない。結局のところ、仮りに、高等海難審判庁が受審人たる適格を喪失した原告を依然受審人としたまま審理、裁決したことが、審判手続上の瑕疵に該ると解するにしても、原告において右の瑕疵を理由として本件裁決の取消を求める法律上の利益を有しないのみならず、もともと本件裁決は、上記認定のとおり、海難の原因を明らかにしただけの裁決で、原告に対する懲戒を含まないもので、抗告訴訟の対象たる行政処分には該らないものであるから、原告においてその取消を求める訴を提起することは、いずれにしても許されないものといわなければならない。

よつて、原告の本件訴は不適法として却下すべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 村松俊夫 土井王明 兼築義春)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例